遠隔授業から学んだこと

 

◇気づいたらいなくなっていた学生、そして肉声への渇望

 

 ビートボクサーやヴォイパを含む様々な音楽のライブ文化の魅力の一つは「コール(呼びかけ)&レスポンス(反応)」ではないでしょうか。でも、この「レスポンス」に対する私の考えは、遠隔授業を機に根底から変わってしまいました。レスポンスの表し方は様々です。一般的なのは拍手でしょう。アーティストと共に歌ったり踊ったり、時には叫んだりすることもレスポンスです。でもそれらはみな同じ空間を共有していたからこそできたこと。出会いからお別れまでが液晶の画面上で行われる遠隔授業では、こちらからの「コール」はできても、「レスポンス」が読み取りにくいのです。LINEやe-mailによるコミュニケーションは、文字が中心です。遠隔授業では、「レスポンス」の多くはPCやスマホのフォントで整えられた文字が中心であり、そこに肉声は伴いません。そのような環境下だったからこそ、肉声への渇望が生じ、画面上に映る「顔」や「文字」よりも、お互いの「声」に強いpowerを感じたのは、当然だったと言えるでしょう。


◇ラジオの生放送風の遠隔授業をつくろう 

  私は卒業式(学位記授与式)の中止が決定した2020年3月上旬から、お別れも言えずにいなくなってしまう学生(卒業生)との「コール&レスポンス」をどのようにするかをボンヤリと考え始めていました。そして、出来上がったのが、私の肉声を届けるYouTube風ビデオレターでした。完成したビデオレターは非公開リンクにして卒業生に3月15日の卒業式当日に、LINEで送りました。全員が観てくれたかどうかはわかりませんが、何名かは「仲間内で集いながら動画を見て泣いた」とメッセージをくれました。それは遠隔授業の「レスポンス」の在り方の端緒が見えてきた瞬間でした。そして、国の緊急事態宣言が発出される前ギリギリの3月末に、私は某音楽ユニットの有料無観客ライブ配信を参観する機会に恵まれたのです。インターネットを介した「コール&レスポンス」の新スタイルにヒントを得た自分なりの遠隔授業の構想が朧気ながら見えてきました。

 4月に入り、大学の授業が当面は遠隔授業で行われると決まった時、「これはテキストやパワポの朗読やテレビ番組のような作り方をしてはいけない、これはラジオの生放送で行こう!」と直感しました。頭に浮かんだのは、1995(平成7年)まで続いた『文化放送:大学受験ラジオ講座(通称“ラ講”)』、そして、未だに土曜日の朝と言えば思い出してしまう『STVラジオ:ウイークエンドバラエティ日高晤郎ショー(1983~2018)』でした。

 

◇コールは教員の声、授業内容を凝縮した“ラジオ講座”をモデルに 

 高3の秋に理系クラスにいた私は、高文連の全道大会への参加を機に、理系の大学から音楽教育系の大学に志望変更しました。志望変更の理由はただ一つ、「好きなことで学び、好きなことで仕事をしたい」と考えたからです。時代は昭和。当然のことながら高度経済成長を支えてきた今は亡き父親とは意見が対立し、「男が音楽なんていう道楽で飯を食っていくのか」と言われ、何の準備もしていなかった私は、案の定浪人生活を余儀なくされました。「楽器やソルフェージュのレッスンの費用がかさむ上に、これ以上の経済的負担は親にはかけられない」そう考えた私は「大学入学共通一次試験(当時)」の対策を「旺文社の大学受験ラジオ講座」(通称:ラ講)のみに絞ることにしました。いわゆる自宅浪人=“宅浪”(たくろう)という浪人生です。“ラ講”から聞こえてくる講師陣の個性溢れる声、僅か1講座30分に凝縮された授業そして、書店で毎月販売されるテキスト。今考えても黒板もホワイトボードも使わず、ましてや動画やパワーポイントなども使わずに展開された“ラ講”は、講師陣の話力に支えられていたと言えるでしょう。

 “寺田の鉄則(数学)” “原のイラメージ古文“等々、テキストを読み上げるだけではなく、それぞれの講師が自分なりに開発した学習法で、その教科科目の内容をラジオという音声だけのメディアを通して伝えていくという仕掛けは、様々なICTが発達した今でも、授業にとっていかに「声」(コール)が大切なのかを気づかせてくれます。時には、林省之介先生のように全国の受験生に“ラ講”でお説教をする先生もいました。その声に私のような孤独な“宅浪生”はどれだけ叱咤激励されたことか・・・。

 

 まさに、“ラ講”は私の遠隔授業のお手本と言っていいでしょう。zoomだTeamsだと言っているのは中身ではなくて方法です。いくら時代が進んでも、中身の充実は方法論とは別の話です。私が構成した遠隔授業の「教える」という側面の組み立て方は、内容を凝縮して伝えるという“ラ講”からをヒントを得ました。「受験に合格する」という明確な目標に特化した“ラ講”は、「絵や文字は止まっていてもいい、でも説明や解説といった論理性は生きた声(コール)で直接、頭に届けなければいけない。」=「わかった気にさせるのではなく、本当にわかってもらう」ための声(コール)とはどういうことなのかを考えるきっかけを私にくれました。


◇レスポンスを得るためのヒントは『日高晤郎ショー』

 一方、「レスポンス」のヒントとなったのは2018年の3月まで続いた『日高晤郎ショー』です。土曜日と言えば、このラジオ番組が生活の一部となっていた北海道民も多いでしょう。この番組は、人々の感性に訴えかけます。それだけに、リスナーからの好き嫌いがハッキリと分かれていたのもこの番組の特徴の一つでしょう。私は直接お目にかかったこともないのに、唔郎さんを私淑していた一人です。お亡くなりになった今でも、その肉声を時折聞きたくなりインターネットを検索することがあります。

 晤郎さんは自らを「ラジオ芸人」と名乗り、その声と言葉の力を私たちに伝えてくれました。それは決して何かを「教える」のではなく、リスナーが「感じること」「考えること」を時には厳しい口調で促してくれたと言ってよいでしょう。私の研究室のドアの傍らには唔郎さんが残してくれた言葉が綴られた“日めくり”が掛けられており、出勤直後に1枚めくるのが私の日課です。そして、退勤するときも改めて唔朗さんの言葉を目に入れます。唔朗さんが残してくれた「日々幸せ感じ上手」や「失敗を恐れるなやり残しを悔いろ」「どうせやるなら上機嫌」といった言葉には、私は心の中で「レスポンス」をしているのです。ここに遠隔授業における「レスポンス」のヒントがあります。決して、実際に声に出して笑ったり話したりしなくても「レスポンス」になるのです。

 毎回紹介されるお便りとスタジオでのお客様とのやりとりから感じ取れた小さな幸せ、そして染み入るような言葉の数々。一方的に喋りまくるラジオではなく、自分もそこにいるかのように元気をもらえた『日高晤郎ショー』は、物理的な距離は離れていても、心の繋がりをもてるということを示してくれました。まさに、ラジオによる「コール&レスポンス」のお手本なのです。

 さらに、『日高晤郎ショー』で忘れてはならないのは、的確なBGM(音楽)の存在です。唔郎さんの語りの力を何十杯にも増幅させていたのは、音楽の力が大きいと思います。『日高晤郎ショー』の様々なコーナーには、テーマ音楽が付けられており、それがトリガーとなり、唔郎さんの語りに対する我々のレスポンスをうまく引き出しているのです。私の遠隔授業を構成する際の「レスポンス」(育てる)という側面の伏線となっていたのが、トリガーとしての音楽の存在です。音楽系の授業だからこそできた工夫でした。

 

◇孤独感や不安感の払拭に卒業生も手を貸してくれた

 入学式もなく、オリエンテーションもなく、唐突に始まった遠隔授業。特に新入生は戸惑いを隠しきれませんでした。先生の顔と名前は覚えられても、学生同士の顔と名前がわからない。独りポツンと部屋の中で授業を受ける中で感じる孤独感や焦燥感・・・それは、“ラ講”を受けていた時の自分の姿と重なりました。

 そんな時に私や学生を支えてくれたのは、本学を卒業していった先輩たちの生の声です。授業の構成で困ったら卒業生に尋ねてました。すると、どんどんと声が集まるようになり(と言ってもLINEの文字ではありますが)、その内容が授業と関連性がピッタリなのです。毎回の授業の最後で寄せてもらった学生の声にも、社交辞令的ではない生の声や質の高い質問がどんどん届くようになりました。でもそれらは全て文字情報です。それらを次の授業へ私が代読するかたちで取り入れ、「お便り紹介のコーナー」のようにアレンジして取り上げていく・・・。こうして、私の遠隔授業は私とリスナー(学生)によって創られ、学生のNさんに“洋一ラジオ”と命名されたのでした。

 オープニング曲は葉加瀬太郎『Another Sky』(全日空の離着陸時の機内音楽)を採用しました。(著作権法上の特例)別々の空の下でも志を共有するというという姿がある、そうあってほしいという願いを込めたのです。

 

◇そして、この秋、新たな対面授業が始まる

 9月15日からはいよいよ対面授業が再開(執筆時当時)されます。(下記注記参照)ただそれは、これまでの遠隔授業を対面に戻すという単純なものではありません。一度遠隔授業慣れした学生と、まだまだ続く様々な制約の中で、新たな授業を創っていくのですから。

 今度はどんなコール&レスポンスの授業を展開するか。

「よし、次はラジオの公開生放送風授業だ~」 

 

色々な方法を試すことができるチャンスです! 今から胸が躍ります。

【注記】本記事は2021年1月8日現在の内容を基に記述されています。