ヒューマンビートボックスの未来を考える②

 

 ◇フィギュアスケートに見る技術力と構成力

 

 ちょっとした実験です。浅田真央さんでも、羽生結弦さんでも構いません。YouTubeで、フィギュアスケートの動画を検索して、その動画に含まれる〈音を消して〉再生してみてください。(←音を消して動画を見る方法、授業でもよく使います。)

 

 競技が始まる瞬間の動き、リンクの端から端へと移動する時の身体のしなり、そして、時折織り込まれる超絶技巧、そして競技が終わる瞬間への身体の運び・・・。

映像だけでもフィギュアスケートは、十分に私達の目を楽しませてくれます。そして、音を消してご覧になった動画からは、「トリプル・アクセル」「トリプル・ルッツ」等の難易度の高いジャンプを確認することができます。これらは「技術点」として採点されます。これが成功すると観客は拍手を送ります。このシーンは、テレビでもよくご覧になることでしょう。ビートボックス・バトルで言うなら、「こんな音ネタを開発したよ」的な場面です。

 

 今度は、音を付けてもう一度動画を再生してみます。するとどうでしょう、音楽が身体の動きと密接に結びついている競技もあれば、音楽が身体の動きの雰囲気を醸し出しているという競技もあることに気づかれると思います。フィギュアスケートの採点法では、「技術点」の他に「構成点」という採点基準があります。構成点の評価の内訳を見ると、スケート技術、要素のつなぎ、動作や身のこなし、振り付けや構成、曲の解釈といった項目に分かれています。つまり、技の披露だけではなく、その技を取り入れた競技全体としての構成も採点しているのです。

 

◇発音技法はシェアされていく、次は何がシェアされるか。

 

 ビートボックス・バトルの国内大会や世界大会の映像を見ていると、新たな発音技法が次々と開発される中で、奇をてらった発音技法は使わず、フィギュアスケートで言うところの構成を意識したビートボクサーが確実に増えてきているという印象をもちます。勿論、これまでも構成を強く意識しているというビートボクサーはおられます。国内のビートボクサーの草分け的存在のAFRAさんや国内大会のチャンピオンになった、「すらぷるため」「妖怪うらに洗い」「TATSUYA」「Sh0h」「KAIRI」「TATSUAKI」(敬称略)といった人たちは、みな技術だけでなく独自の構成感も伝わってくる方々ばかりです。

 

 フィギュアスケートで難易度の高いジャンプが決まった時に、思わず拍手をしてしまうのと同じように、ビートボックスの新たな発音技法は「ネタ」として新奇性があり、わかりやすいかたちで注目度がアップします。前回のブログでもお話したように、インターネットの興隆と密接に結びついているヒューマンビートボックスは、新たな発音技法が開発されると、瞬く間に全世界にそれが拡散します。そして、難易度の高低はあるにせよ、その発音の存在自体は周知のものとなります。

 

 今はまだ日進月歩でビートボックスの発音技法は進化をしていますが、そう遠くない将来、新たな技法の開発は頭打ちとなり、それまでに開発されてきた発音について、種類と技法及びその難易度が客観的に整理(←私は、まさにその研究中)され、シェアされる日が来ると考えられます。そうなった時、ヒューマンビートボックスはどのような段階へと進んでいくのでしょうか。

 

◇模倣性のある即興性

 

 私は、ビートボックス・バトルのソロ・バトルのような競技的な表現形態の場合は、相手とのコミュニケーションをうまく取り入れながら、いかにして自分の世界観へと引きこむかという「即興性」がポイントになると考えています。そうでなければ、ビートボックスに勝敗をつけるというバトルの意味は薄れると考えるからです。

 そして、注目したいのは、ビートボックス・バトル特有の即興性の要素の有無についてです。それは、萌芽期のビートボクサーが持ち合わせ、現在でも受け継がれている「模倣性」という要素です。聴いた音を自分で模倣するという行為は、どんなにビートボックスを表現する場が進化したとしても、決して失われない要素だと考えています。例えば、バトルの相手が発した音や一部のフレーズ(これをgrooveという人もいる)感を、即座に模倣して自分流にアレンジして投げ返す・・・そんなソロ・バトルがもっと見られるようになるかもしれません。

 

◇ヒューマン“な”ビートボックス

 

 その一方で、「即興性」ではなく、ヒューマンビートボックスが創りだす時間の「雰囲気」を重視することもポイントとなると考えられます。雰囲気とは、ビートボックスの構成やデザインと言っていいと思います。構成には起承転結の明確なものもあるでしょうし、始まりと終わりが不明確な時間をたゆたうようなものもあるでしょう。あるいは、環境音の一部のようになってしまう場合もあるかもしれません。

 

 ミニマル・ミュージックの先駆者として知られるアメリカの作曲家スティーブ・ライヒ(Steve Reich1936-)は、次のような言葉を語っています。

 

 「興味のあったのはリズムのかんじ、いまここにある時間のかんじ、それにプレイするアクションだった。」(小沼純一著『ミニマル・ミュージック』 青土社 1997年 p.82)

 

 ビートボクサーが発した音をサンプラーに取り込んでループさせる表現方法は、小さいフレーズの繰り返しが用いられることが多いミニマル・ミュージックを思い起こさせます。もうこうなると、ビートボクサーは単なる音源の供給源です。自分でお気に入りの音としてサンプラーに保存して使い続ければ、もはやそれは「機械による音楽=真のビートボックス」です。

 

 でも、私が着目しているのは、自身で構成するという機能をもっている、「人間によるビートボックス=ヒューマン“な”ビートボックス」です。その音を使ってどのような表現を構成するかは、ビートボクサーに委ねられています。

  ヒューマンビートボックスは、人間が発した音を使っていれば、それ以上細かな決めごとはありません。良い意味で何でもありなのですから、これからますます様々な表現との連携や融合が図られていくと考えられます。その可能性を教育現場に取り入れたいとして始められたのが、『学校教育におけるヒューマンビートボックスの指導でのオノマトペの活用法の研究』(科研費基盤(C)19K02799)だったのですが、コロナ禍で指導事例の収集のためのフィールドワークが中断してしまいました。まずは、学校の先生にヒューマンビートボックスの可能性を知っていただきたかったのです。

 

 未だ見ぬ未来、ヒューマンビートボックスの定義が、「人間由来の音をサンプリングしたビートボックスマシン」とならないことを願いつつ、このブログを終えます。2021年こそは、学校現場の先生と共にヒューマンビートボックス講座が開催できることを期待しています。なお、近日中(2021年3月予定)に、ビートボクサーやヴォイパの第一人者の方がとのトークセッションを公開する予定です。どうぞお楽しみに!