ヒューマンビートボックス・ボイパ研究の経緯と今後の展望

 

◇日本語歌唱の指導法の研究がヒューマンビートボックス・ボイパ研究の原点

 

 まだ30代になったばかりの頃、私は日本語に訳されたオペラの指揮を振る機会に恵まれました。稽古は順調に進んでいました。ところが、ある人から「歌の言葉がよく聞き取れない。」というお叱りを受けます。日本語で上演するのに日本語の字幕を出した方がよいとも言われました。そのときの私は不勉強で、母音を形成する基本的な響きは舌の位置が重要であることや、女声はある程度以上の高音域になると母音の明瞭性が失われるなど、基本的なことさえ知りませんでした。言えたのは「子音を立てて」ということくらいです。そんな指導では周囲から認められるわけがありません。とても悔しくて恥ずかしい思いをしたことを思い出します。

 

 私自身、日本語の発音の仕組みや日本語に適した歌い方を習ったという記憶がありません。そこで、私は日本語で歌うこと(以下、「日本語歌唱」)の指導に関する先行研究の検索を始めました。日本語歌唱の指導の先行研究の検索を通してわかったこと、それは、五つあるとされる日本語の母音の概念の捉え方が研究者によって実に様々で、日本語歌唱の指導法を語るためには、まず母音に対する感覚の違いを踏まえなければならないということです。そして、同じ母音であっても様々なニュアンスがあることを効果的に伝える方法として、オノマトペを活用することを考えるようになりました。オノマトペを日本語歌唱に活用するメリットについては、『オノマトペを用いた歌唱指導の意義に関する一考察』で述べていますのでここでは割愛しますが、「日本語歌唱の指導→指導ツールとしてのオノマトペの活用→表現素材としてのオノマトペ」という流れ、つまり指導ツールから表現素材へと関心が移っていったことが、ヒューマンビートボックスへの関心へと繋がっていきます。

 

 オノマトペは、言語音による音や状態の模倣です。一方、音や状態をそのまま描写することを私は「直接的模倣音」と呼び、音響データを採取し、実際の音と比較する研究をおこないました。この時に直接的模倣音を使った例として、マイケル・ウインスロー立川真司を取り上げ、そして初めてヒューマンビートボックスの演奏と出会います。2009年頃のことです。

 初めはヒューマンビートボックスのことを、私は単なる直接的模倣音としか捉えていませんでしたが、YouTubeなどの動画を検索していくうちに、次第にこれは音楽表現のジャンルの一つになりつつあると確信するようになりました。そして、ビートボクサーに直接録音したり聞き取り調査をしたりすることへの協力を要請するに至ります。その成果は、2012年にヒューマンビートボックスの技法に関する一考察〜ビートボクサーへの聞き取り調査とワークショップを通して〜 』という論文にまとめることができました。

  その後、音楽表現の新たな素材としてのヒューマンビートボックスに関する基礎研究』というテーマで科研費基盤(C)26370193に採択され、今日に至ります。「ヒューマンビートボックス」というキーワードが入った科研費の採択テーマとしてはこれが初となり、やっと第三者から研究テーマの一つとして認めて頂けたことをとても嬉しく思います。 

 現在は、科研費・基盤(C)(2019〜2021年度:課題番号19K02799)の助成を受け、『学校教育におけるヒューマンビートボックスの指導でのオノマトペの活用法の研究』というテーマで研究中です。

 

 

◇ヒューマンビートボックス・ボイパの教育現場での実践はこれからの研究課題

 

 「教育現場」を学校教育や社会教育という場に二分した場合、学校教育の場での実践例は、私の知る限りはまだありません。また、私自身の実践もまだ試行段階でお話しできる段階にありません。

 一方、社会教育の場においては、定期的な指導実践を行っているいくつかの事例を把握しております。ただ、他の音楽のジャンルでも、優れた演奏家が優れた指導者になるとは限らないのと同様に、ビートボクサーの達人が必ず優れた指導者であるとは限らず、「解釈人」のような立場の人が間に入り、レッスン効果を高めています。

 

 

◇ヒューマンビートボックス・ボイパを音楽教育で取り上げようとする理由

 

 教材化の対象とした理由としては、①自分の耳で聴いて模倣する行為が基本にあることから、「聴くこと」の重要性にフォーカスできる ②身一つでリズムパートやメロディなどを気軽に演奏できることからいつでもどこでも演奏できる ③演奏者同士が技術を競い合いあえるヴィルトゥオーゾ的な技巧性があることから表現としての発展性が期待できる、という三つを挙げることができます。そして、この三つの理由を背景に、音によるコミュニケートができるということは、例えば、高等学校学習指導要領(芸術科・音楽Ⅰ)でも謳われている「音素材の特徴を生かし,反復,変化,対照などの構成を工夫して,イメージをもって音楽をつくること」などとも深く関連性があり、教材化できれば、大変効果的な授業を展開することが可能であると考えられます。

 

・「録音ではなく自分の耳でサウンドスケッチ」

・「リコーダーよりも安価(無料!)」※マイクやアンプを使う場合を除く

・「単なる物真似ではないからどんどん広がる表現力」

 

 ヒューマンビートボックスの様々な可能性については、拙論『ヒューマンビートボックスの可能性についての一考察』(札幌国際大学紀要第43号)で詳しく述べていますので、是非ご参照ください。

 

 

◇ヒューマンビートボックス・ボイパをどのように授業化するか

 

 何をもって教材とするのか、教材を使って何をどう指導すのか、という議論は、それぞれの人が歩んできた背景に依存しやすく、ややもすると枝葉末節的な議論となりやすいです。したがって、何をもって「教材」と捉えるか、という概念を示すことが必要であると思います。

 

 私の基本的なスタンスは、「人みな教材、モノみな教材」です。しかし、それらはそのままでは、単なる「人、モノ」でしかありません。調理法があって、その「モノ」が食材と呼ばれるようになるのと同じように、そこに合理的で汎用性のある指導法があって、初めてそれは「教材化」されると考えています。

 

 ですから、ヒューマンビートボックスという音楽表現、あるいは、ヒューマンビートボクサーという人たちは、そこに合理的な指導法が確立されて、初めて「教材」として位置付けられると考えています。

 

 先述のように、社会教育の領域では指導法はいくつか確認しておりますが、千差万別で一般化できるまでには至っていないのが現状です。合理的で一般化できる指導法の確立のために、私の研究に薄謝でありながらも全面的に協力をしてくれています。

 

◇今後の課題は音楽表現の文化としての記録と学校現場への普及

 

 大きく二つの方向性があると考えています。一つは、最先端の技法による最新のトレンドを捉え、ストリートカルチャーが発祥と言われる文化の進化の過程を記録し続けていくという方向性です。もう一つは、基本的な奏法の指導法を一般化していくという方向性です。

 

 ヒューマンビートボックスの技法は日進月歩です。3年に1度開催される世界大会では、新しい技法による発音(new schoolと呼ばれる)や新感覚のグルーブ感によるパフォーマンスが登場します。台湾など、まだ国内でのヒューマンビートボックスの認知度が低い地域への調査をしてみると、ビートボクサーの多くが異口同音に「インターネット上の動画サイトを自分なりに活用している」と言います。その動画の多くは、表現の過程(指導法)ではなく表現の結果を伝えています。ですから、ビートボクサーは目と耳でその映像を捉え、それに近い音を自ら作りだしていくという、「現代版口頭伝承」、「音のスケッチ」とも言えることをしているのです。このような背景の中で、どのような音楽表現が登場し、あるいは消えていくのか。一つの文化として記録をとり続けていくことは、研究者の使命だと考えています。

 

 もう一つの方向性である、基本的な奏法の一般化について私は、究極的には学校で使われる音楽の教科書の1コーナーをヒューマンビートボックスが飾るということを目指したいと考えています。ミュージック・コンクレートやミニマル・ミュージックのように、登場した頃は周囲から「これは音楽か?」と呼ばれていたものが、今は教科書に普通に取り上げられています。ヒューマンビートボックスが教科書に取り上げられるためには、この音楽表現の歴史や演奏技法を科学的に捉え、音楽表現の一つのジャンルとしての位置づけを明確にしていくことが今後の研究の方向性として大切にしていかなければならないと考えています。世界的にも研究者が少なく、まだニッチな研究という印象があると思いますが、関心をもってくださる方が増えてくれることを期待しています。