教育ポリシー

上士幌町長ブログより転載
上士幌町長ブログより転載

和して同ぜず

 

 私は22歳の時に、北海道十勝の上士幌町で、高校の音楽教員として社会人1年目をスタートしました。初めは、地域社会と距離を置いてしまい、何もできない自分にモヤモヤとした気分を募らせていました。そんなある日、私は決意しました。どこまでできるかはわからないけれど、「その土地の人間になりきろう」と。そして、音楽に対する自分の思いを胸に、地元の方々とのお付き合いが始まり、自然な流れとして自分の活動の場も出来上がっていきました。今でも、この上士幌町は「第2の故郷」だと、勝手に(?)思っています。当時の町教委の社会教育課長は、私淑する師匠のお一人です。

 卒業する学生たちにも、「まずその職場の人間になり、その土地の人間になりなさい。でも、自分は自分として持ち続けなさい」と訴えています。

2011年 わくわくフェスティバル 準備風景
2011年 わくわくフェスティバル 準備風景

 

失敗は失敗の元

 

 ある学生との話です。その学生は、その当時、心に病を抱えていて、大学へ通学することができなくなりました。しかし、ご両親やお医者様のご努力や本人の頑張りもあり、今ではワーキングホリデーに出かけ、自分の将来をしっかりと考えることができるまでになりました。学生曰く、「周囲の人たちは、自分に対して同情というか、慰めというか、やたらと「かわいそうに」という言葉や雰囲気を投げかけてくるのですが、自分としてはちっとも「かわいそう」とは思っていません。」と言っていました。周囲にとってはおおきな「失敗」と映るのでしょうが、本人にとっては、一つの「ステップ」ってことがたくさんあると思います。それを「失敗」にしてしまうのは、周りの人たち。何でも先回りして「失敗」しないようにしてしまう大人の中では、学生は学びたくても学ぶことが少なくなってしまうと思うのです。大抵は「失敗は成功の元」と言われますが、私は敢えて「失敗は失敗の元」と言っています。失敗したというイメージだけしか持てない人は、また失敗する。成長する人は、失敗とは思わずに、それを単なるステップとしか思わないと考えます。

 

学生へのメッセージ(私の口癖)

◇「せんせい」とは、演じる仕事である。

【意味】自分を変える必要はないのです。自分は自分。24時間、ずっと先生でいるわけではありません。ただ、自分に求められている「せんせい」の姿とはどのような姿であるかを考え、それを演じることがプロとしての「先生」を可能にするという考え方です。

 

◇わくわくフェスティバル(年1回の恒例行事)で、学生は3度涙する。

 1回目は、仲間とうまく行かない悔しさの涙。

 2回目は、表現が完成した喜びに感動する涙。

 そして、3回目は、仲間とわかりあえた嬉しさの涙。

【意味】大学時代の友人は、一生の友になる可能性が高いと言われています。良いも悪いも、楽しいも辛いも、色々な経験を通して一つの表現を創り上げるわくフェスは、授業としてだけでなく、学生の思い出としての意味もあります。

 

◇何を学ぶかよりも大切なこと、それは誰に学ぶかである。

【意味】「学ぶ」とは、新しい知識や技能、態度を身に付けること。どの大学や短大で学んでも、同じ免許・資格を取得できます。でも、その免許・資格を使って、 どう働くかは人によりけり。知識や技能、態度を操っているのは、その人のマインド(感じ方、考え方)です。これは、誰に学んだかによって大きく変わってく るという考え方です。

 

◇肉声による言葉には、意味に加えてニュアンスが込められている。

【意味】「身体」は食べ物でできています。では、「心」は・・・・。私は、「ことば」でできていると思います。あなたが使っている言葉は、あなたの将来を創る と思います。だから愚痴や悪口は絶対禁物! 言葉は意味だけを伝える道具ではもったいない。肉声になると、そこにパワーが吹きこまれ、様々なニュアンスが 込められます。

 

◇絶対やめよう、「悪口」「陰口」「減らず口」

 愚痴はたまにはいいけれど、言えば幸せ逃げていく

【意味】卒業生へ向けたメッセージです。どんなに仕事を頑張っても、これから先は、自分で「運」を良くしていかないと成功しません。運は人によって運ばれてきます。「悪口」「陰口」「減らず口」は、発した瞬間はスッキリするかもしれないけれど、必ず自分に帰ってきます。

 

◇一人の質問、みんなの声

【意味】今、あなたが感じている疑問は、きっと他の人も感じているはず。それを言葉にすることで、その集団全体の学びが向上します。そして、質問は慣れて くると、どんどん質の高い質問ができるようになります。それは、子どもに対する発問の工夫(言葉がけ)にもつながります。