何をして「ありがとう」と言われたいか。

 ある方から、「特集 今を生きる若者の意識~国際比較からみえてくるもの~」(平成26年度版、以下「若者調査」)という内閣府がまとめた報告を紹介していただきました。

 

「自分自身に満足している日本の若者 45.8%」

韓国:71.5% アメリカ:86.0% イギリス:83.1% ドイツ:80.9% フランス:82.7% スウェーデン:74.4%)

 

 この数値に、私は衝撃を覚えました。普段この年代の若者と接する仕事をしている私にとって、何となく感じてはいたのですが、ここまで低いとは思っていなかったからです。

 ※「若者」とは13歳から29歳を指します

 

 

 今の若者の多くは、「自分が世の中でどんな役に立つのか、何をして喜ばれたいかを見いだせずにもがいている」という姿が描き出されている感じがします。(河本私見)

 

 奇しくも、この報告を紹介されるのと時を同じくして、私はこれまでに自分自身がどんな場面で「ありがとう」と言われてきたかを整理していました。なぜなら、「ありがとう」×「自分の専門性」=新たな事業や研究テーマの発見と考えていたからです。

 ところが何を隠そう、この私もどんな場面で「ありがとう」と言われてきたかが、全然思い出せない。「何をしたかったか」は思い出せるのですが、「どんな時にありがとうと言われてきたか」が思い出せない。つまり、「若者調査」と同じく、自分がどんな場面で役に立ってきたかを、すぐに語ることができなかったのです。これには、正直、自分自身も驚きました。

 

 そこで、卒業生の何人かに、「私(河本)が、これまでにありがとう言われてきたのはどんな時だった?」というやっかいな質問を投げかけてみました。

「先生、何か悩み事でもあるのですか」という困惑気味の声も寄せられましたが、多くの卒業生は異口同音に次のように返答してくれました。

 それは・・・・

 

  自分の損得関係なしに、学生にぶつけてくる「心に残るコトバがあった」

 というものでした。

 

 大学生になるまで読書の習慣は皆無、名言集なんて大嫌いだった私が、いつの間にか口癖のようになった言い回しがあり、それに卒業生が反応していたとは・・・、

 コトバの力恐るべしです。

 

 そこで、思ったのです。私に足りないのはコレだっ、そして、今の若者にも高校や大学までに不足しているのは、コレではないかと。

 

「将来何になりたいか、どんな学校へ進学したいか」ではなく、「何をして役に立ちたいか(喜ばれたいか)」を常に問いかける。その問いかけに必要なコトバがある、と。

 

 ちなみに、ある卒業生にとって印象に残っている私のコトバは、

 

・「先生とは、演じる仕事である」

 →これは、いつも教職課程や保育職を目指す学生に言っています。初めから先生に向いている人などいない。先生とはどんな役柄であるかをわかるから先生ができるという意味で使っています。あとは、先生は24時間先生である必要などないという意味で、ストレスを溜め込むなという警鐘としても使っています。

 

このほかにも、色々と返答してました。自分自身、忘れていたものもありました。

 

・「身体は食べ物で出来ている。心は○○○でできている」(空欄=コトバ)

 →これは、最近言い出しました。今年の1年生へは入学当日に言いました。心は、コトバによる習慣だという考えです。

 

・「一人の質問 みんなの声」

 →6年くらい前に何となく口にしていました。クラスTシャツのロゴにされたこともありました。良い質問が良い授業を創るから、どんどん質問しなさい。それは、きっと誰かも感じていることですよ、という意味です。

 

・「振り返らねば夢にはならず、唯来る時を楽しむべし」

 →これは、2年前の卒業生に、卒業式のあと言いました。とにかく、これから訪れる時間をどんどん楽しんでいける大人になってほしいとの願いを込めています。

 

・「掴めずとも そこにある虹」

 →本学に赴任当初、当時の専攻科の学生に授業中に言ったのが最初です。実体を証明はできないけれども、確かに存在するものが世の中にはあるという意味です。

 

 よく覚えていてくれたものです。これからも45.8%の若者に、コトバの力を、残る44.2%の若者には、自立の心を萌芽させて行こうと決意を新たにしました。