師の連鎖

 年少者を対象にしたヒューマンビートボックスの指導事例の収集に行ってきました。対象は、小学5年生と小学2年生の兄弟です。お兄ちゃんは、始めてから1年ちょっと、かなりかっこいいビートを刻めます。弟さんは、レッスン2回目の初心者ですが、なかなかの吸収力でどんどんうまくなっています。

 

 そんな二人の口から出てきた言葉は、

 

 「学校の音楽の授業はツマラナイ!」

 

 まぁ、予想通りと言えば予想通りではあります。でも、やはりショックです。自分の職業も、学校の音楽の先生(10数年前まで高校の音楽教員)なので、「そうだよね〜」とは素直に頷けません。と同時に、「どんな授業なの?」と、訊いてみました。すると、

 

 「先生は話してばっかりで、自由に音楽をさせてくれない」

 とのこと。その先生は、音楽を表現する活動よりも、知識を授けることに傾注しているようでした。

 

 同じ質問は、非常勤講師で出会った学生にも毎年しています。すると、色々な音楽の授業の様子があることがわかります。

 

 「合唱が中心でした。合唱コンクール前はみんな真剣に取り組んでいました。」

 「リコーダーの合奏が多かったと記憶しています。」

 ここまでは普段よく耳にする音楽の授業風景です。でも、次のような授業も実際に行われているようです。

 

 「ずっと、DVDの鑑賞でした。先生は準備室に篭って仕事をしていました。」

 (このような授業が放置されていると、学校の音楽科は自滅します)

 

 学生にはこう言っています。

 

 「あなたがもっている音楽の授業観は、あなたの経験によって成り立っています。だから、あなた自身が学校の音楽の授業はそんなもんさ、と思っている限り、またしてもツマラナイ授業が生産されていくのです。逆に、タノシイ授業を経験すると、そのイメージがあなたの授業感になる。これを、私は〈師の連鎖〉と言っています。ただね、師は学校にだけいるとは限りませんよ。見方に寄っては、落語家だって、本の中にしか存在しない人物だって、師になり得る。大切なのは、どのようなアンテナを張っておくかってことなんです。そして、もっと大切なこと、それは、考えたり、感心したりするだけじゃなくて、それをすぐ具体的な行動に取り入れること。一番優しいのは、その人の言葉を反芻することじゃないかと思います。」

 

 このブログを書いている私だって、「私オリジナル」ではありません。様々な人との出会いによってつくられています。脈々と受け継がれる、師のバトン・・・

あなたは、誰からそのバトンを受け取り、そして、そのバトンを誰に渡そうとしていますか。