「何か質問はありませんか?」に潜む、思考停止の罠

 前期終了を8月8日に控え、学内では盛んに定期試験や補講が行われています。私がもう一人の先生と共同で担当する『子どもの音楽(基礎)』も、本日2コマの補講をおこない、8日のマークシート方式の定期試験で終了します。

 

 さて、授業の最終回で質問による授業では、質問を全体化する授業をおこなっていることを前回のブログでご紹介しました。今日は、私もつい使ってしまうフレーズについて考えてみたいと思います。

 

 「何か質問はありませんか」

 

 このフレーズは、どんな場面で使わることが多いでしょうか。一番多いのは、ある程度まとまった説明をしたあとに、説明したが側が聞き手に用いる場合だと思います。例えば、学会の研究発表では、15分程度のまとまった時間に発表者が話を進めていき、最後に参加者からの質問を受け付けるというスタイルが一般的です。新商品や新企画などのプレゼンテーションでも、まとまった時間の説明の後、質問を受け付けるというスタイルが多いでしょう。

 そして、学校の授業でも、先生が授業を進めた後、最後に質問がないか問いかけるというスタイルは日常的に見かける光景だと思います。

 ただ、学校の授業で「何か質問はありませんか」と問いかける時には、学会の研究発表や新商品のプレゼントは違った配慮が必要であることは、あまり話題にされることがないように思います。

 

 「質問をつくり出す人のバックボーンを考えているか」

 

 学会の研究発表では、参加者の先生方は、それぞれの研究領域をバックボーンに、自分の研究との関連性や創発の可能性などの観点をもって、発表を聞いています。また、プレゼンでも、参加者はそれぞれの立場が明確であり、自分の担当する仕事の立場から、双方のメリットや社会への訴求度などの観点をもって話を聞いています。

 では、授業ではどうでしょうか。そもそも、授業は、その内容が自分の研究と関連性があるとか、利害関係がどうであるかとかいった観点で作られていることは稀だと思います。教育の目的、目標、教育課程編成方針があって、それに基づいて、授業計画がシラバス化され、毎回の授業が組み立てられていきます。

 そうなのです。授業は、「今日の目標は○○です」とは語られることがあっても、「今日の授業を受けると、あなたに○○○なメリットがあるます」とは語られることはなかなか無いのです。

 

 「学校の授業を、損得で語るとはなにごとか!」とお叱りを受けそうですが、自分にとってメリットがあると感じられる話は、学生は何もせずとも耳を傾けます。ここで言うメリットとは、学生にとって様々な面で成長を実感できること、それを自分の喜びと感じられることを意味します。

 しかし、メリットが何であるかわからないと、学生の耳は啓かれず、「何か質問はありませんか」という教師の問いかけには、こんな一言が帰ってくるのです。

 

 「ありません!」

 

 そもそも、学生は自分たちにとってその授業の何が自分たちのメリットになるかを理解していないのですから、質問が出るはずがありません。出たとしても・・・

 

 「テストではどんな問題の出し方をするのですか。」

 「合格点は何点ですか。」

 「どこが一番重要ですか。」

 

 といった、学生にとって高得点を獲得するというメリットを背景とした質問しか出てきません。ただし、質問が出るということは、相手側のメリットが明確になっていると考えられますから、質問する側は思考停止状態にはなっていません。

 むしろ、気をつけるべきなのは「ありません!」という一言です。私は、この言葉が学生から出てきた時は、思考停止状態か、授業の進め方が悪かったのではないかと疑うことにしています。決して、「学生は、十分理解した」などと解釈してはいけません。

 

 「何か質問はありませんか?」

 

 この問いかけは、学生を思考停止にさせる危険性があるということを肝に銘じ、今日も授業に行ってきます。