礼儀のある生意気さを若者のパワーへ繋げる発問とは?

 後期の授業が始まりました。「ほぼ週イチ☆ブログ」も再開です。

 

 この季節、学生からの「・・・どうしたらいいですか。」というよ質問が増えてきます。このような質問に、私はつい、「これはこうしなさい。」と即答してしまったり、「これは・・・だから、このようにしなさい。」と、学生に気づきを与えずに結果のみを与えてしまったりしがちです。ただ、このようなアプローチが繰り返されると、学生はどんどん自分で考えずに思考停止状態に慣らされていきます。そして、直ぐに答えをくれる先生や学生の代わりに気づいてくれる先生が〈良い先生〉という構図ができあがります。

 

 もうこうなると、自ら考えることを放棄し、「あれはダメ」「これもダメ」「こうしなきゃダメ」という〈ダメダメ指示語〉で出来上がった先生に育てられた先生の卵として学生は拡大再生産され、世に送り出されます。確かに、これはこれで一定の教育効果はありますし、このような先生を全否定するつもりはありません。ただ、〈ダメダメ指示語〉の環境下では、独創的な発想、面白い取り組み、アイディアに溢れた教育方法は生み出されにくいでしょう。

 

 教員が教えられることは限られています。ましてやインターネットがこれだけ発達した社会では、教員が教えていることは既に陳腐化している可能性だってあります。単に知識を伝えたり理解を促すだけの教員なら、早晩、AI(Artificial Intelligence:人工知能)で事足りる時代が来るかも知れません。いや、知識や理解の領域の教育なら、むしろAIによる〈機械教師〉の方がわかりやすくて的確な指示語による教育が可能であるとする考え方も現れてきています。

 ですから、生身の人間である私は、〈機械教師〉にはできないことは何だろうかと最近よく考えるようになりました。そして、辿り着いた月並みな考えは、AO面談の時のように学生と接してみようということです。そう、実は今の季節になると、多くの受験生と懇談する機会に恵まれ、その時に合言葉のように語られるのが、「AO面談は、一問一答の面接ではない。」ということなのです。

 

 AO面談では、いかにして受験生がリラックスして話ができるか、本学が期待している人物か、我々が提供できる教育とニーズが合致しているかを懇談していきます。

 

 まさに、「発問の良し悪しが全てを決める」と言っても過言ではありません。

 

 受験生や学生の発想や疑問そのものが正しいか正しくないかはともかく、どのような思考を経てそのような判断したかを、自信をもって語ってくれる学生がいると、本当に嬉しくなります。そのような若者の姿は、少々生意気に映るかも知れません。

 でも、いががでしょう。発問が良ければ、その生意気さも、青年期の一つのパワーの源へと昇華する、そう思いませんか。

 

 学生のそんな生意気さを受けとめられる大きな器を、私達大人はもちたいものです。