「伝わらない」から始まるコミュニケーション

※2016年10月13日のブログを加筆修正しています。

 

 文字も音符も、元々は「伝わらない」

 

 「音符と文字は一緒って事ですか?」

 「LINEで打ち込む文字文字だけでは、本当の意味は伝わらない。

 「文字の方が音符よりも意味が伝わると思っていたけど、ただ文字に慣れているだけでした。」

 「文字だと意味が伝わるっていうのは思い込みだという言葉に、ハッとさせられました。」

 「楽譜は世界共通だと思っていたけれど、よく考えると違いますね。」等々

 

 これらはみな、2016年『子どもの音楽(応用)』の第3回の授業後の感想です。

 『子どもの音楽(応用)』では、第3回と第5回で「子どもの音楽の楽譜を使いこなす方法」というテーマの授業をしました。今では1回しか扱えませんが、当時は授業内には試験が無く15回の授業が終わってから定期試験だったので、授業内容が厚かったのです。

 

 次に、発表された回答に対して反論や疑問を受け付けます。この質問に対する学生の参加度はかなり高く、互いの発表に耳を傾けているうちに、どんどん「はてなマーク」が浮かんでくるようです。

 

 「世界共通と言うけれど、それを知らない人にとっては言葉を知らないのと同じではないか。」

 「LINEを使っていてよく感じることに、LINEじゃ意味があまり伝わらない。やっぱり、直接会って話してみないといけないと感じることがよくある。」

 「例えば、〈さ・よ・う・な・ら〉という言葉の意味は文字だけで伝わるけれど、その雰囲気というかニュアンスは、文字だけでは伝えきれない。漫画の吹き出しに描かれている〈マ゛〉とか〈ズクシ〉のような絵文字はある程度伝わるけれど。」

 

 学生同士の意見交換も落ち着いたところで、次の質問を投げかけます。

 

 「楽譜(音符)と言葉(文字)を一言で括ると、それは何でしょう。」

 

 これだけ議論した後に、この質問を投げかけるとかなりの学生が気づきます。

それは、音符や文字は単なる「記号」ではないかと。

 

 学生が置かれている現代のコミュニケーションの環境下では、意味さえ伝わればそれで全てが伝わっていると錯覚してしまうことが多いのかもしれません。しかし、学生は文字そのものの情報から読み取れる意味だけでは、コミュニケーションはうまく成立しないことを体験的に気づき始めています。

 

 同じことは楽譜にも言えるはず。

『子どものうた200』という楽譜集は、単なる記号の集まりかもしれないと気づいた時、まだ記号のいろいろを知らない子どもたちの前で、保育者としてその記号にどのような意味やニュアンス、表現を込めていくか。

 

 元々記号なのだから、「伝わらない」ことを前提とする

 

 元来伝わらないのだからこそ、伝えようとする努力や伝わった時の喜びを感じる。これこそ、表現活動の醍醐味であることを、『子どもの音楽(応用)』では取り上げています。

 

 さてさて、文字が記号だとすると、それを書いた人って本当に本人なの?って疑問を感じることはありませんか?「オレオレ詐欺」で高齢者が声だけで息子本人だと勘違いするのと同じく、直接ID交換した相手でも、スマホが他人に渡ってしまったら~とか、代わりに別人が返信しているのでは、とたまに不安になることがあるのは、私だけ?(笑

 だから私は肉声に、人並み以上のニュアンスと安心感を感じるのです。楽譜や文章に別人が手を加えて本人の名前で販売するということは、普通に行われていることですから~商品ですからね。