オトやコトバが頭中をループ、そんな時には「蝉の声」

 今回は、ノイズ音や虫の声の聴き方が、人種や民族によって異なるというお話がベースになっています。

 毎朝、小学1年生の次女と途中まで同じバスで通勤通学しています。

いつも二人がけの椅子に並んで座ります。娘は窓側。たまに機嫌が悪い日もあり、朝のグズグズを受け止めてあげるのも日課の一つになりました。

 

 そんなある日、3つめのバス停に近づくと、女子高生と私より少しお若い感じのオジサンの大声がバスの中まで聞こえてくるではありませんか。女子高生は、「よし、ツイッターしてやる!」と叫んでいましたが、連れのお友達に止められて、怒りの矛先をどこへ向けていいかわからない様子。オジサンもオジサンで、カッカカッカして「けしからん」などと、車内でブツブツいう始末。(まるで、サザエさんに登場する波平さん。)

 どうやら、先にバス停に来たけれど座って待っていた女子高生と、後でバス停に来て立って並んでいたオジサンの乗車順は、どっちが先かでもめていたようです。この二人の口論を娘は、その迫力のせいか、それまでグズグズだったのに、ケロッと直ってしまいました。

 

・・・・こんなに簡単に娘の気持ちが切り替わるなんて、もしかして、「人の振り見て、我が振り直せ」を習った道徳の授業のおかげ?・・・・

などと思いながら、一期一会の他人にこそ、「お先にどうぞ」なんていう優しい言葉が挨拶代わりになるのになぁなどと、勝手に妄想を膨らませていく私でした。

 

 それにしても、朝からこのような負のエネルギーを発する言葉を耳にすると、始まることがあるのです。

 

 「脳内ループ化現象」

 

 頭の中で、断片化された文章や言葉や特定の音楽のメロディの一部がループすることを、私は勝手にそう呼んでいるのですが、もうこのような状態になると、何も手につかなくなります。ですから、このような時は、スティーブ・ライヒミニマル・ミュージックで、ループ化されたオトを強制的に整理することもあります。

 

 でも、北海道のこの季節には、私にとって、もっといい方法があるのです。それは・・・・

エゾハルゼミ(蝦夷春蝉)の鳴き声を、ただひたすら聴くのです。

 北海道では、5月下旬頃から、晴れた日の午前中から午後3時位までの時間、エゾハルゼミの声が聞こえるようになります。私の家の周辺、娘の小学校、勤務する大学の周辺はみんな森に囲まれているので、その声がしぐれのように降ってきます。

 

 言葉でもない、音楽でもない、かと言って、単なる物音でもない。それは、「音以上、音楽未満」

 

 『日本人の脳』(大修館書店 1978年)を書いた角田忠信は、虫の声や動物の鳴き声などの生き物が発する音を、我々日本人は言語半球で言語音と同様に処理しているのに、アメリカ人は雑音として劣位半球で処理していて、「虫が鳴く」ということそのものが意識されていないということを取り上げています。

 なるほど、私が「脳内ループ化現象」をリセットするために、エゾハルゼミの鳴き声を活用するのは、もしかすると、お経を唱えて精神を集中することと、そう遠くはない話なのかも知れません。

 

 ならば、ヒューマンビートボックスも日本人とアメリカ人では、その構造性の感じ方に根本的な違いがあるのはないか、などと、ついつい職業柄、研究テーマと短絡させてしまうという悪い癖が、また私の頭の中に、「脳内ループ化現象」を引き起こしてしまうのでした。

 

 「エゾハルゼミの鳴き声なんて、近くで聞けないよ〜」という方へは、蝉の声が収録されたCDやYouTubeサイトをお勧めします。何分か聞き入って、その後無音にしてみてください。頭の中が一瞬スッキリした感じになると思います。