ビートボックスシーンは今どこに?

※2020年3月のコラムを基に再編集しています。

 

 昨年の今頃(2020年2月と3月)は、何人もの若きビートボクサー(20歳代)と懇談(SNS上も含む)する機会に恵まれました。そのような場で彼らの口から出てくる言葉に、共通ワードがあることに気づきました。

それは・・・

 

 「ビートボックスシーン」

 

例えばこんな感じに用いられます。

・もっとビートボックスシーンを盛り上げていきたい。

・ビートボックスシーンを広く一般の皆さんに知ってもらいたい。

・ビートボックスシーンを盛り上げるために、僕はその裏方に徹したい等々

 

 ちょっと待って~! 

 

 「ビートボックスシーンって、どこにあるの?」

 

 すると、ビートボックスバトルだったり、YouTubeの動画だったりを挙げてきました。確かに「○○大会のチャンピオン」だとか、今はビートボクサーに限らずYoutuberは花盛りです。何人の登録者数がいて、何回再生されたかの数字がその盛り上がりを示しているかのようには見えます。ただ、それがビートボックスシーンというものの実態を表しているのだろうか、と私は少し疑問を感じたのです。本来自由な表現スタイルが魅力であるはずのビートボックスが、登録者が何人、再生回数が何回という数字で測られる・・・そもそも、「ナントカシーン」って囲うこと自体、内輪で盛り上がる文化なんだと言っているようなものなんじゃないかと、モヤモヤ感が募りました。

 

 

そして、ふとヴォーカルパーカッショニストのKAZZさんの話しを思い出しました。


僕(KAZZさん)がずっとボイパをやってこられたのにはあるきっかけがある。1995(平成7)年の阪神淡路大震災の復興屋台村でア・カペラでボイパをやった時に、被災して心が沈み自粛ムードになっていた人たちが、僕らの演奏を聴いて笑顔になってくれたという経験をしたことだ。今振り返れば、その時に一人のボイパをする人間としての立ち位置(きっかけ)をその音楽活動で見つけたんだと思う。災害の現場ではあるけれど、自分の音楽が人の役に立っていることの喜び、それを実感できたことが、今、自分がボイパをやっている原点になっている。この体験が無かったら、ボイパは続けてこなかったかもしれない。

 

 音楽って、まず「音が出る(出せる)こと自体が楽しい」→「習得した音を使って音楽をすることが楽しい」へと進み、「その音楽を聴いてもらって喜んでくれる人がいて嬉しい」へと階段を上っていきます。自分自身が楽しいということを前提にして、それが社会のためになっているという実感がKAZZさんにはあたのです。だから“ボイパ”という言葉すらなかった時代(ハモネプが流行する前)から、ア・カペラの中でボイパ的な立ち位置に意義を見いだし続けてきたのだろうと思います。今では、彼は、神戸で200名以上の弟子を輩出した「ボイパ道場」(なぜ“教室”ではなく“道場”かということは別の機会にお話しします)という名の教室で後進の指導をしながらライブ活動を続けています。そして、KAZZさんがしてきたこと、それは・・・

 

 人々に〈夢〉ではなく、〈幸せ〉を与えていた

 

 夢とはこれから先に起こるかもしれない一種の妄想のようなもの。でも、幸せはこの瞬間に感じるものです。あるビートボクサーも同じようなことをを口にしました。

 

 「技術的に素晴らしいビートボクサーは国内にもたくさん現れてきました。でも、自分がそれに深く関われば関わるほど、そのビートボクサーは人に夢は与えるけれど、自分の幸せが逃げていく感じがするんです。」

 

 もちろん、ビートボクサーとして生計を立てているAFRAさんやすらぷるためさん、MC ZU-nAさんやKAZさん、T.Kさんをはじめ、他にも本業の傍らビートボクサーとして活躍されている方がいることも存じ上げています。ただ、その下に続く若い世代のビートボクサー、年代で言うと2000年代のボイパブームに生まれた20歳代(それ以降の世代は、インターネット動画が主流)が今直面しているモヤモヤ感というのは、どこか共通点があるように感じます。

 それは、他の誰か(ビートボクサー)をリスペクトすることはあっても、自身がビートボクサーであることや他のビートボクサーを支える立場としての自分自身の幸せを実感できない、自分の価値を後押ししてくれる何かがほしいという共通点です。

 この考え方には異論もあると思いますが、「実演芸術をプロにする人」、「実演芸術をアマチュアとして楽しむ人」、「周りで支えるスタッフ」、「それを鑑賞することにお金を出す人」、「それを文化として語る人」、「その環境(ハコや場)を提供する人」等々様々な立場の人がコロニーを形成して、初めて持続可能な文化になっていくと思うのです。そこには、それぞれの立場での幸せと、互いの幸せをもたらしてくれたことによる対価としてお金が環流し、だからこそ、それに関わる人が生活していくことができるわけです。

 

 改めて若きビートボクサーに、「ビートボックスシーンって、どこにあるの?」と問いかけてみました。すると、「そんなシーンなんて呼べるようなのは、まだないですね」というような返答がありました。と同時に、「バトルだけやっていてもだめですね」とか、「今まではスキルだけに走っていて、他にももっと大切なものがあるような気がしてきました」といった返答やら、もう、次から次へと・・・

 

 「よし、これで彼は自分に自分で火をつけたぞ!」

 

 私は、このような会話のやりとりに同席しているときに、幸せを感じます。「あぁ、こうやって文化を育てていくということはどういうことなのか、を考えてくれる若者と話しができて嬉しいなぁ」と。

私はビートボクサーではありません。だから、スキル指導など全くできません。しかし、ヒューマンビートボックスという文化を俯瞰したとき、「ビートボックスシーン」という一聴すると分かったような気にさせる言葉が、逆に若きビートボクサーの思考を停止させているということに、彼らは気がついてくれたんだ、と心の中でニヤリとしたのでした。

 

 こんな話を交わした2020年3月末から直ぐに、世の中はコロナ禍に突入しました。しかし、ヒューマンビートボックスやヴォーカルパーカッションの音楽文化は、インターネットという仮想空間の中で、力強く生き続けています。徐々にではありますが、ライブ活動を再開するビートボクサーやボイパの方も増えてきました。しかし、まだ余談を許さない状況です。

 

 分かったようで実はよく分からない言葉〈ビートボックスシーン〉

 

 この言葉に括られて、ヒューマンビートボックスやボイパの自由な音楽性が画一化していかないでほしい・・・そう願って今、改めてこのコラムを書いています。

 

(本コラムは、2020年3月のコラムを加除修正して再構成しました)

 

 そして・・・・このたびKAZZさんとAFRAさんとの対談動画が実現します!ただ今撮影&編集中! ほかにも“すらぷるため”さんや“奥村さん(おっくん)”そして、『ボイパを論考する』のサイトの筆者kazuma(杉村)さんも出演予定。3月中には公開予定です!お楽しみに!!