遠隔授業で改めて考えた“言葉”と“コトバ”

※初出2016年6月14日のブログを加筆修正しました。

 

 2016年に画期的な出会いがありました。その出会いは、私に「言葉」と「コトバ」という使い方の違いを気づかせてくれました。

 そのきっかけをくださったのは、本学の前身の静修短大時代の卒業生Tさんです。Tさんは、言葉をとても大切にされている方で、言葉に意味だけではなく様々な「何か」を込めた筆文字(=伝筆:つてふで)を描く技術と指導者の資格をもっている方です。その「何か」とは、音楽と同様、「ノンバーバル(非言語)」的なメッセージと言ってよいでしょう。

 Tさんが描いた文字を見ていると、徐々に意味だけではなく、その文字が示す言葉としての意味以上の質感や温度感のような感覚的な「何か」を感じられてくるのです。

 

 「よく言われるんですよ、私が描いた文字はだんだん文字に見えなくなってくるって」(Tさん)

 

 他の方も同じ経験をされているようで、「文字って文字として見なければ、文字じゃないですね」、そんなことを話していたら、話題は若者の語彙力の話しへと発展・・・

 

 今の若者は、語彙力がないとか、「すごい」「やばい」などの一語文が多いなどという批判がありますが、もしかすると、そのような“教養ある大人”は、自分がもっている語彙力が多いことをいいことに、「すごい」「スゴイ」「凄い」を単なる言葉としてだけ切り取り、それをもっともらしい他の言葉に置き換えて理解してしまうのかもしれません。その響きから醸しだされるちょっとしたニュアンスの違いに気づいていないかも知れないのに・・・

 

 文字を単なる意味を伝えるだけの道具としてではなく、そこにある形や音(おん)の響きそを再認識してみると、それまで蓋をされていた表現のパワーが少しずつ姿を現してきます。私は響きに傾聴して欲しいときには、言葉ではなく“コトバ”と敢えてカタカナで書くようにしています。視覚的に意味だけを伝えるのだけではなく、耳で捉える響きを大切にしたいからです。

 

 最近は、プレゼンでもテレビのバラエティ番組でも、登場人物のコトバを敢えて文字化して表示することが多くなっているように思います。私もコロナ禍の遠隔授業では、この方法を意図的に採用した授業もありました。その方が、目と耳を使うために意味が伝わりやすくなると考えたからです。

 でも、文字(言葉)には文字の、音(コトバ)には音の働きがあります。これは、書き言葉と話し言葉の違いといった話しではありません。目から入る言葉、耳から入るコトバとでも言いましょうか。

 

 肉声だからこそ伝えられること、これにも挑戦してみました。『子どもの音楽(応用)』の第9回は、全くのラジオ番組として構成してみました。かなりの冒険でした。結局、第11回では、資料をOutlookメールで送り、それを見ながら私の音声を聞いてもらうことにしました。

 まさに、目から入る言葉と耳から入るコトバの融合が実現したわけです。

 

 私にこのような思索の機会をくれたTさんには、「掴めずともそこにある虹」「ご縁をありがとうございます」「感謝」「言葉づくりは人づくり」「いつも笑顔でニコニコと」といった短文を伝筆で書いていただき、名刺の裏に印刷しました。5種類の裏面がある名刺は、初対面の方にくじ引きのように引いてもらい、どんな短文を引いてくださったかをアイスブレイク代わりにしています。(写真は、その一例)