【第4回】本当のストリートってどこにある?:すらぷるためのアート談義

「嫌だ千欲しい」のブレイクで感じたこと

 

 YouTubeのオススメ動画で「嫌だ千欲しい」の動画がブレイクした時期がありました。急に再生回数が伸びたんです。その現象を取り上げ、すらぷるためさんはこのような感じ方をしたそうです。

 

「一見さんお断り!」

 

 この発言を聴いたとき私は正直驚きました。再生回数増えて新たな顧客が増えたのだから喜ぶだろうと考えますよね。でも、すらぷるさんは違うんです。どうしてだろうと尋ねてみたところ、意外な返答がありました。

 

「今まで、すらぷるためを知らない人が突然コメントに入ってきて、否定的なコメントを残していくんです。それって、これまでファンだった方々からすると、とても環境を悪くする要因になると思うんです。能動的に作品に触れていく人がいないと、つまり、単に動画再生数だけを上げていこうとすればするほど、そういう人たちも増えていく・・・。だから、僕は無理に動画再生数を増やそうなんて思わないんです。」

 

 なるほど、「一見さんお断り」とはそういうことなんですね。よく分かります。ただの人気取りだけの動画作成をしているわけではなく、最初は閉じたコミュニテイになるかもしれないけれど、能動的な人を増やしていきたいとすらぷるためさんは強調します。

 

 

 

アートに対する“能動的な人”を増やしたい

 

 “能動的な人”という考え方については、今回初めて登場する言葉だと思いますし、すらぷるためさんのヒューマンビートボックス(音楽)観や、文化に対する人と人との関わりについての根幹を成す理念なので、少し詳しく述べておきましょう。

 

 アート(芸術)は、受け手(観る人、聴く人)に自由な解釈の余地が与えられているものです。それが、マスメディアに乗って「コレが流行しているから」という理由で人口に膾炙していくことは、アートとしては健全な状態ではない、という考え方が、すらぷるためさんの根底にあるのです。ヒューマンビートボックスも、流行っているからとかオススメだからではなく、自分から好みを求めていくような環境になっていってほしいと言います。

 

「僕自身のビジュアルも全然マスメディア向けじゃないじゃないですか、“おたく”っぽいし・・・(笑。マスメディア向けならちゃんと髪の毛を染めたり帽子を被ったりしますよ。でもそれやってしまうと、受け手が何も考えなくなってしまうじゃないかって思うんです。そのような格好を否定しているわけではありません。それはそれでいいと思うのですが、受け手はそれで何も考えなくなるんじゃないかと思うんです。制服と変わりませんよ。」

 

 

 

日本のストリート文化は“村社会化”している!?

 

 すらぷるためさんのビートボックスの姿で、ネクタイを締めたサラリーマン風の姿をご覧になった方もいるのではないかと思います。実は、あの姿は、ステレオタイプ(紋切り型、画一化)なヒューマンビートボックスに対するアンチテーゼでもあったわけです。日本のストリート文化というのは、すらぷるためさん曰く「僕のような人を受け容れにくいような土壌を作ってしまっていう気がする。」と言います。そんなことはないという反論も聞こえてきそうですが、彼の発言は「ストリート文化とはかくあるべき」というような一種の規格化された状態に日本のヒューマンビートボックス、ひいてはストリート文化がなっていくのではないかという警鐘にも聞こえてきます。

 

ひとことで言うなら「村社会化するストリート文化」

 

 なぜなら、元来ストリート文化って、誰でも受け容れるからストリート文化って言うのではないか、とすらぷるためさんは言います。すらぷるためさんは、AFRAさんのように本場のストリート文化を体感してきた方ではありません。でも、すらぷるためさんの問いかけは、ストリート文化とは何か、今の社会においてストリート文化ってどこにあるのかという疑問へと繋がってきます。

 

「ビートボックスシーンなんて言う時点で、もうすでに村社会化している」

 

 すらぷるためさんの語気がだんだん強くなってきました。

 

 

今のストリート文化は、インターネットだ

 

 「今の時代の本当のストリートは、あらゆる人を受け容れられるインターネットにある」と、すらぷるためさんは言います。ビートボックスって歌とほとんど同じ。誰もが出来ることだし、人間であればみんなできるはず。なのに、ストリート文化発祥だからと言って、その狭い世界にヒューマンビートボックスを押し込めることによって、逆に誰もが出来るはずのヒューマンビートボックスの可能性を押し殺すことになると言うのです。そして、話はビートボックスバトルの功罪へと発展していきます。(詳細は動画をご覧ください)

 

 

ストリート文化にAway(アウェイ=敵地)はない、はずだったのに・・・

 

 すらぷるためさんの話からは、アート(芸術)の自由性が様々な要因によって規格化され、発展が阻害されるという危機意識がひしひしと伝わってきます。AFRAさんもKAZZさんも言っていました。「ヒューマンビートボックスもヴォーカルパーカッションも本来、もっと自由だし細かな決まりもない。ましてや、みなさんの顔が違うように、音だってこれが正解というものはない、だからこそ自分で演奏していても面白いし、指導をしていても生徒さんの音の多様性に興味を覚える」と。

 

 

インターネット映えするヒューマンビートボックスがある

 

 すらぷるためさんによれば、ライヴで聴くことを前提とせず、インターネット(YouTube)で聴くことを前提に作られているビートボックスがあると言います。このことは以前から私も感じていたことなのですが、すらぷるためさんによれば、「人間離れした特殊な音を多用している動画がインターネット映えする」と言います。(※あくまでも、個人的見解です)つまり、ヒューマンビートボックスという音楽は、ライヴとインターネット上で姿を変えることができるということです。これは、他の楽器ではなかなか難しいことだと思います。

 ライヴでのヒューマンビートボックスには、音圧とリズム(ビート)キープが不可欠だと言います。そして、インターネット向けのヒューマンビートボックスを最初にやり始めたのは、DaichiさんやHIKAKINさんであるというのがすらぷるためさんの考え方です。これは、AFRAさんも同じ見解を示していました。一般社団法人日本レコード協会の調査(2019)によれば、音楽を聴くメディアが今やYouTubeが半数以上(54.9%)であるという調査結果を考えれば、YouTubeで聴くことを前提とした音楽作りというのは、今の時代には必要不可欠であると考えられます。その音を聴くツールがイヤホンなのか、ヘッドホンなのかにも左右されるとは思いますが、すらぷるためさんの言うようように、「インターネット映え=YouTube映え」する音楽作りというのは、ヒューマンビートボックスやヴォイパに限らず、今や見ぬ振りが出来ない現実と言えるでしょう。DaichiさんやHIKAKINさんのビートボックスはネット向けに進化させたという見方は、ヒューマンビートボックスやヴォイパの音楽を発展させていく上で、大変興味深い視点であると考えられます。このような視点に立った論文は、CiNii検索(論文検索サイト)ではまだ見当たりませんが、今後、クラシック音楽も含め様々な音楽ジャンルにおいてYouTube向けの音作りということが研究されていくことでしょう。

 

 

大道芸化への危惧

 

 ただ、「人間離れした音を出す」ということだけに特化してしまうと、それはビックリ人間=大道芸になってしまうという危惧もあるとすらぷるためさんは言います。物珍しさだけなら、すぐに飽きられてしまう・・・だから彼は、違った音楽性を求めていったのです。それをひとことで言うなら、「陶酔性」と言うことが出来るでしょう。今その音楽の中に溶け込んでいる感じ、そこにただ音・音楽と共にいる感じ、それを表現したかったのではないかと考えられます。まさに、これは松尾芭蕉の音風景に対する感覚に通じます。音の中に身を委ねるとでも言いましょうか、そのような音体験を、すらぷるためさんの音楽は感じさせるのです。

 

 

YouTubeの再生回数の意味

 

 すらぷるためさんの音楽は、再生回数で判断しないのが大切だとご自身は言います。これは同じ方が、何度も聴いているということを意味します。かつては音楽を何度も聴くと言えば、レコードを買うか、CDを買うか、そのお金がなければラジオから流れてくる音楽をカセットテープに録音するといった方法でした。しかし、今の時代は、何度も聴きたい音楽はYouTubeを何回も再生するという状況に変わってきているのです。したがって、再生回数は当てにならないという話になるのです。これは先述の日本レコード協会の調査結果から考えても明らかです。再生回数が増えているのは、そういう数字であるということを、視聴者側も知っておく必要があるでしょう。

 すらぷるためさんの音楽には「陶酔性」があり、一種の“すらぷる中毒”とでも言うような状況が起こっています。ご自身もそれを狙ってYouTubeを活用しているのです。

 

 

本当のストリートは、インターネットにある By すらぷるため

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コメント: 2
  • #1

    yuki (火曜日, 09 3月 2021 22:56)

    こんばんは。河本様。
    確かに考えたら色々な人がいて、悪く考えると、その人の動画なりブログを潰そうとして、悪いコメントを書き込み、潰いしてしまう人はいますね。
     実際知っている人のブログが、荒らされて閉鎖した事がありました。
    世の中、全て自分に賛同している人ばかりではないんですよね。
    10人の賛同者がいれば、反対に10人の反対者がいたりします。
    残念ですが一見さんお断りは、自分を守るために仕方がない事ですね。

     確かに再生回数で判断しないのがとても大切だとは思います。しかし、それでも僕は再生回数=単純にその人の音楽を聴きたくなった回数だと思いますので、同じ人が何度聞こうとしても、それだけの価値のある音楽だと思います。

     すらぷるためさんの音楽には「陶酔性」があり、一種の“すらぷる中毒”となっているというのは、とてもすごい事だと思います。
     世の中、なかなか中毒性のある音楽なんか聴けませんから。

  • #2

    yo (土曜日, 13 3月 2021 00:05)

    それがグルーヴってやつですね