【第9回】スタンドアローン・コンプレックス的ヒューマンビートボックス論(後編)

 【前編の復習】

 スタンドアローン・コンプレックス(STAND ALONE COMPLEX)とはアニメ『攻殻機動隊』の中での造語であり、直訳すると、「孤立した個人(STAND ALONE)が全体として行動(COMLEX)する現象」という意味です。この「孤立した個人(STAND ALONE)」と今日のビートボクサーの存在との間には共通点があると、すらぷるためさん(以下、すらぷるさん)は持論を展開しています。今回はその後編です。

 

 

スタンドアローン・コンプレックスの特徴は

自分こそはオリジナルだと思い込んでいること

 

「“ぱくり”なのに創っている人は、自分独自の作品だと思い込んでいることがある。」

 

 すらぷるさんは、インターネットに限らず表現の世界ではこのようなことが頻繁に起こっていると考えています。自分では能動的だと思っているのに、実はそれは受動的だった~。特に、スタンドアローン・コンプレックス化するインターネットの世界では起こりがちなことかもしれません。

 

「表現は外から受け取った情報を違う素材に置き換えてシュミレーションする行為だ」とすらぷるさんは言います。例えば、風景画や動物の彫刻などは、基になる存在を違う素材によって再構築していると言えます。確かに、創作とは言えども、私たちは全く何の影響も受けずに創作行為をするということはあり得ないのです。

 

 すらぷるさんの指摘は、

 

事実から模倣をするという方向性を逆転させた現象

 

 と言うことができます。現代、特にヒューマンビートボックスなどの場合は、「模倣(コピー)=インターネット上に先行して存在する情報」から、自ら行う「事実=ヒューマンビートボックス」が導かれるという現象が起きています。つまり、事実→模倣ではなく、模倣→事実という逆転現象です。

 

 ヴォイパ(ア・カペラ)の場合は、インターネット上だけで存在しているという例はコロナ禍になったからこそ見られるようになってきましたが、ヒューマンビートボックスの場合は、インターネットの中だけで存在しているという例はごく普通に見られます。最初の出会いがインターネットなら、それを動画にしてインターネットにアップして、作品として存在するのもインターネット上、リアルに存在しているのは、自分が動画を作成しているときだけという状況もあるのです。

 

 ビートボックスはライブ演奏ももちろんありますが、アーカイブ(記録)として伝わっていくという音楽表現である面が多いのです。だからヴォイパとは異なり、ヒューマンビートボックスの場合は・・・

 

師弟関係が薄いのです

 

 最近ではヒューマンビートボックスを指導してくれる教室(習い事)もありますが、まだ一般的ではありません。また、指導されている先生方も、指導法を模索しているというのが現状です。そもそも、ヒューマンビートボックスとヴォイパでは、音楽表現の中での立ち位置が違うということが言われてきました。

 

 

ヴォイパってア・カペラの中で必要ない⁉

 

 ヴォイパは立ち位置的にアンサンブルの中で一つのパートとして存在しているので、ビートボクサーのように音楽を創り出していくという感覚をもちにくいという指摘はKAZZさんからもありました。そして、調和を求めれば求めるほど、その作品の中ではヴォイパは必要無いという現場もあったと言います。だからといって、ヴォイパのみなさんがヒューマンビートボックスに興味関心が無いというわけではありません。

 

 

創られたものなのか、本当のことなのか分からなくなることに嫌気を感じる

 

 だから、「最初からあからさまに嘘の情報を流すことで、逆に安心感が得られる」と、すらぷるさんは言うのです。Post-truth(※下記に注釈)の逆バージョンです。情報が錯綜し真贋が分からなくなるからこそ、明らかに嘘だとわかっている方が安心できるという考え方です。例えば、Rofuさんからすらぷるためさんの凄さを解説したいという企画を持ち込まれたときに、茶番劇として、すらぷるさんは「音響の専門家」として登場するという嘘をついたのです。このような嘘のコンテンツづくりの方が、安心して信じられる(?)という考え方です。

 このような考え方は、一見すると難しそうに聞こえますが、実は、嘘だと明確に分かっているからこそ楽しめるということは他にもあるはずです。例えば、お化け屋敷やジェットコースターなどの遊園地のアトラクションには、本当は嘘あるいは危険では無いと分かっているからこそ、安心して楽しめるというエンターテインメントがあります。これが、もしかしたら本当の幽霊や死体があるかもしれないとか、脱線するかもしれないという乗り物には誰も乗りません。

※Post-truth:2016年のイギリスの流行語。Oxford Dictionaries Word of the Year 2016 によれば「客観的な事実が重視されず、感情的な訴えが政治的に影響を与える状況」を意味するそうです。

 

 

「嘘だと分かっていた方が安心していられる」

 

 スタンドアローン・コンプレックスな時代、情報の真贋を見極めることが難しい中にあって、この言葉は皮肉に響くと共に、インターネットという道具を手に入れた時代に生きる我々の音楽表現の在り方を示唆する言葉でもあると考えます。

 

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コメント: 1
  • #1

    yuki (土曜日, 03 4月 2021 23:31)

    こんばんは。河本様。
    ウソだとわかっていたほうが、安心していられる。と言う言葉にハッとさせられてしまいました。
     今の世の中、とかくウソは悪い事という意味合いが多いですが、今回に関しては、ウソ=決して悪い事では無く、かえって安心するためのウソをわざと作りあげる。
     実に難しい事ですが、インターネットの普及したきた今だからこそ、考えられたことなんですねぇーーー。
     ウソも方便。昔の人はうまい事を言ったなぁーーー。