【第12回】音楽表現の授業に思うことあれこれ:奥村政佳&すらぷるため&杉村一馬“やわ・ゆる”鼎談

奥村さんの音楽の原体験とは?
今回も奥村“節”炸裂!

 

 ヴォイパと言えば“おっくん”(奥村さん)、“おっくん”と言えばヴォイパというくらい、ア・カペラグループRAG FAIRの元メンバー奥村政佳さんと言えば、ヴォーカルパーカッション担当としてア・カペラブームの基礎を築いた方のお一人です。そんな“おっくん”こと奥村さんが、印象に残っている音楽体験の一つは高校時代の音楽祭で、『風になりたい(1995)』(THE BOOMのシングル:作詞・作曲宮沢和史)を演奏したこと。そして、有志枠で演奏したア・カペラだと言います。おそらく、その時の演奏が人前での初ア・カペラだったのではないか、と奥村さんは言います。ちなみに『風になりたい』は、今では高等学校の芸術科『音楽』の教科書にも掲載されている歌です。(奥村さん曰く、教科書に載るのは10年とか15年経ってからなんですけどね〜笑)

 授業では、発声法を重視する先生がとても印象に残っているのだそうです。音楽の授業と言うよりは、体育の授業に近かったようです。お腹を「ギューッと押して押し返せ〜」といった方法で、男女問わず指導していたそうです。(今なら、女子からはセクハラと言われかねない⁉)

 唯一楽しい授業の思い出として残っているのは、小学校2年生の時の音楽鑑賞の授業だったそうです。鑑賞した作品は アラム・ハチャトゥリアン作曲 バレエ音楽『ガイーヌ』より『剣の舞』をレコートで流したときに、思わずクラスメイトのA君が踊り出したのだそうです。それがめちゃくちゃ面白かったと言います。多くの方が作品名はご存じなくても一度は聴いたことがあるであろう『剣の舞』。あの力強いビート感に合わせて踊ったA君は、それこそ、「身体が勝手に動き出した」と言った方がいいかもしれません。音楽に合わせて踊るA君を、先生も「黙って聴きなさい」とか「座りなさい」といって、叱りつけることはなかったそうです。いい先生ですね、だって強烈なビートに対して身体が自然に身体が反応したのですから。

 

 現在は、フルタイム勤務の保育士として勤務する奥村さんは、ナント

 

 保育園児の発表会でヴォイパを取り入れた

 

と言います。取り入れたのは器楽合奏です。幼児の発表会の時の合奏と言えば、大太鼓、小太鼓、シンバル、鍵盤ハーモニカ、幼児(教材)用の鈴などと、大体決まっているのですが、その合奏に幼児のヴォイパを取り入れたというのは、奥村さんならではと言えるでしょう。演奏したのは『小さな世界(It's a small World)』(ディズニー音楽の作曲家のシャーマン兄弟の作詞作曲)。

 

 プロのヴォーカルパーカッション奏者の指導

 

を受けて発表会で演奏できた子どもたちは何て恵まれているのでしょう。もしかすると、保護者もヴォイパの“おっくん”が保育士をしていたとはご存じなかったかもしれません。むしろ、保護者の方の反応が気になりますね。だって、まさに保護者のみなさんの多くは、ハモネプブームの初期に思春期だった頃の方が多いと思いますから・・・(子どもたちには、そんなブームの有無は関係ないですけどね)

 ただ、重要なのは幼小中高を問わず、音楽表現に携わる先生方がどんなバックグラウンド(経験)をもって教員として幼児・児童・生徒と関わりをもっているのかという点です。(奥村談)

 

 一方、杉村さんは「8ビートという概念を知ったのは、『ハモネプ・スタートブック』だった」そうです。(ここで、奥村さん思わずニヤリ) ハモネプ・ブームはテレビ番組から火が付いたブームで、これに関連する書籍や映像媒体が沢山発売されました。ハモネプの「ハモ」はア・カペラグループのハーモニー、「ハモネプ」の「ネプ」は、当時その番組の司会をしていたお笑いトリオのネプチューンの「ネプ」を意味します。ハモネプ・ブームに関する論考は、杉村一馬さんの“ボイパを論考する”をご覧ください。

 

 さて、奥村さんは自らの保育の中に取り入れる音楽について、いわゆる『子どもうた』だけではなく、

 

 今の社会とあるいは、保護者みなさんと共有ができる音楽の重要性

 

を主張します。そして、なによりも、その音楽表現の活動が、子どもたちの自発性に基づいている点に注目します。今流行の音楽や大人の歌謡曲を取り上げることに関しては、保育者の間でも賛否が分かれる点です。確かに子どもの声域の発達に合わせた歌を取り上げないと、子どもは叫ぶように歌ってしまうという現象が起こることは事実です。しかし、「自ら音楽を表現したい」という自発性を尊重すると、「まあ、それもよしとするか」というスタンスが、奥村さんの音楽表現に対する姿勢なのです。

奥村さんは、こう言います。

 

 音楽は、社会との繋がりがないといけない

 もしかすると、実生活から今一番遠いのは音楽の教育なのでは

 

と問題提起します。


 そこへ、奥村さんの発言を聴いていたすらぷるためさんが、人が「おもしろい」とか「やりたい」と思うときが能動的な行動の始まりだと、話に入ってきました。すらぷるためさんは、言います。

 まず、「道具(パーツ)を与えよ、そして、その組み合わせは無限だということを伝えよ」

ヴォイパやヒューマンビートボックスの音楽表現(教育)での面白さは、答えが無いことだと続けます。自分で創れるということがおもしさや、やる気へと繋がっていくというのが、すらぷるためさんの考え方です。

 

 ここでこんな質問を投げかけてみました。

 

「これでいいですか」と言ってくる生徒さんはいませんか。

 

「めちゃくちゃされます! これであってますかって」この質問って二つの意味に取れるのです。

一つは、自分の音に自信があって、「どうだ、これでいいだろう(いいって言ってよ)」というパターン。もう一つは、まだまだ伸びしろがあって「もっと、いい音になるんじゃありませんか」というパターンです。同じ「これでいいですか」という質問なのですが、意味合いが二通りに解釈できるという点は、私も学生と接していて痛感します。これには、奥村さんと杉村さんも苦笑。すらぷるためさんは、このような質問が来たときには、「もっと身体をうごかしてくれ」と返すのだそうです。なぜなら身体全体で音楽を感じていないと思われる場合が多いからだと言います。


 実は奥村さんは、あまりレッスンを単体で実施することはないそうです。これは意外でした。防災士の資格ももつ奥村さんは、防災の話をしているときに、10分のヴォイパコーナーを挟んだり、1・2歳児の保育の合間でヴォイパをしたりというように、ハンバーガーの中身のように様々な場面で、ヴォイパ体験コーナーのようなスタイルで取り入れます。それは、まさに

 

 Pushではなく、Pull=引き出すという行為に近いのです。

 

 どうしても経験年数の浅い先生だと、「教えなきゃ、教えなきゃ」という呪縛から逃れられず、園児や児童生徒に音楽を教え込もうとします。でも、音楽表現って、その人から引き出すことが大切だという考えは、私も『音楽科教育法』や『保育内容(表現)』の中で講義をしていることと一致します。教えられる部分もありますが、先生と園児や児童生徒との関わりの中から、良さを引き出す(自ら気づかせる・判断させる)ということが、音楽表現の教育の場面ではもっと大切にされるべきだと考えます。

 また、すらぷるためさんの指摘にあるように、ヒューマンビートボックスとヴォイスパーカッションは、道具が身体そのものですから、他の道具(楽器等)をわざわざ使わなくてもいいという特性があります。「口でリズムを刻めるのに、わざわざドラムセットを使う必要があるなんて言ったのは誰だ〜」なんていう奥村“節”も登場し、一同大爆笑。(もちろん、ドラムを否定しているわけではありません)

 さらに、杉村さんからは、身体的特徴(歯並び、顔面の骨格、口腔内の形状)と音色に関する質問が飛びだし、奥村さんが自分の歯形の標本(?)を持ちだしてくるという場面もありました。歯並びが悪いと音色も悪くなるということがあるようで、これは身体的特徴上、どうしようもないこと。むしろ、

 

 音色を追求するよりも、音を出すタイミング(構成力)を大切にしたい

 

というすらぷるためさんの発言は、重要な意味をもつと考えられます。元々、身体由来の音を使っているヒューマンビートボックスやヴォイパの場合は、身体的特徴上が影響するのは避けられません。

 ただ、こんな考察も出てきました。それは、日本は「音色を大切にする文化なのではないか」という点です。日本人の文化性の中に、音色を追求するという姿勢が自然に備わっているとするならば、ビートボクサーが奥村さんのもとに「音色を良くしたいんです」と相談してきたことも頷けます。

 ただ、この相談への奥村さんの返しが、ユニークだった!

 2001年から守り続けている変わらぬ自らのヴォイパの音を“素うどん”に例え、

 

 「2001年から守り続けている伝統の味、素うどんでよければご披露します」

 

と答えたのだそうです。

 

 奥村“節”炸裂!

 

 そこで、『ハモネプ・スタートブック』の冒頭にも出てくる8ビートを披露したところ、

 

 「素うどん、ヒュ〜」(某ビートボクサー)

 

となって盛り上がったんだそうです。まだまだ、「素うどん」でやっていけそうだと実感したという、奥村さんなのでした。