【第6回】奥村政佳と杉村一馬が語るヴォイパなきもち(後編)

ちょっと待って オモシロ危な過ぎます!奥村さん!

 

 日本のア・カペラ文化を語る時に「TRY-TONEは外せない!」と奥村さんは言います。このグループが出現するまで、ア・カペラグループの楽譜は、自分たちのグループ専用にアレンジして作るしか方法がなかったのです。それがTRY-TONEの出現によってア・カペラ用の楽譜が市販されるようになったことは画期的だったのです。そんな歴史を語ったかと思えば、「ビートボックスと違い、ヴォイパはア・カペラ文化のコミュニティに根ざしている。」とか、「保育にピアノは要らない⁉今の時代はスイッチポンで一緒に子どもたちと歌える時代だ」とか、そこだけ切り取って公開されたら「エーッ!」ってなるような話がもう出てくる出てくる・・・ダブルスクールにダブルワークの経験もあり、現在はフルタイム勤務の保育士としてお仕事をされていて気象予報士や防災士の資格ももつ通称“おっくん”の話には、様々な話題の引き出しがあるので、いくらでも話しが続きます。きっとまだまだ引き出しがあるはずです。

 “ネットに上げるのはNG”という話(あくまでも自主規制)もあるので、一部削除や修正を加えていますが、どれも現代が抱える問題点の本質を突いたものばかりで、様々な考え方が成り立つ内容です。中でも「ヴォイパもビートボクサーもひとりだと間が持たない」という発言については、賛否両論があるのではないかと思います。

 

 ヴォイパは音楽の多層構造の中で間(ま)を持たせている、ではビートボックスは・・・

 

 ヴォイパはア・カペラの中でリードヴォーカルやコーラスなどと共に多層構造を成す音楽の一部として機能している、と奥村さんは語ります。そして、ビートボクサーはせいぜい45秒くらい続けるのが限界ではないかと言います。(※あくまでも個人の感想です)短い分、多岐多様なスタイルを織り交ぜて演奏を続けており、そもそも音楽の組み立て方がヴォイパとは異なるということを指摘しています。確かにビートボックス・バトルの場合には様々な音楽スタイルを取り入れたり、そのままモノマネをしたりすることが起こりますが、1回当たりの演奏時間は長くありません。本シリーズの第4回の話題で登場したビートボクサーすらぷるためさんのように、無限に近いくらい長時間ビートボックスを続けていられるようなビートボクサーもおり、奥村さんのこのような考え方には異論をもたれる方もいらっしゃるでしょう。しかし、様々なア・カペラグループを出入りし、プロのヴォイパ奏者として活躍してきた奥村さんには、きっと彼ならではの“皮膚感覚的”な思いが込められているはずです。

 それは、同席した杉村さんの一言からも感じられます。それは・・・

 

「ヴォイパ(ア・カペラ)は調和を重んじる」

 

 「調和」という概念に対しては、ヴォイパとビートボクサーの間で、使われ方が異なるのではないかと私(筆者)は漠然と捉えていました。そもそも、ヴォイパで言うところの調和と、ヒューマンビートボックスで言う調和の間には、同じ「調和」という言葉とは思えないほどの大きな隔たりがあるようにも思えます。AFRAさんも、AFRA&INCREDICLE BEATBOX BANDでは、3人のビートボクサーと共にアンサンブルしています。でも、ア・カペラの中での調和と同じに捉えてよいものなのかどうか。ビートボックスでの調和と、ヴォイパの奥村さんや杉村さんが仰る調和とは、少しニュアンスが違う気がするのです。

 

さて、そのニュアンスの違いとは? 詳しくは動画でご覧ください!

 

 

発展の仕方に違いがあるも、初心者指導には共通点も

 

 ヴォイパは大学のア・カペラサークルなどの先輩後輩の関係、あるいは師弟関係のような上下関係の中で醸成されてきたという側面があると奥村さんは言います。一方、ビートボックスはサークルではなく、インターネットを中心に個人的なレベルで同時多発的に発展してきたという側面があります。(あくまでも筆者の仮説であり、適切な方法による十分な調査がこれから必要です。)

 しかしながら、初心者に対する指導については、共通する点が多いのも事実です。“ボイパ道場”も主宰するKAZZさんは、「ド・ツ・カ・ツ」、台湾では「不吃可吃」という表し方をします。奥村さんは「ド・ツ・ル・ツ」、某ビートボクサーは「ボ・ツ・ピ・ツ」といった言葉から、8ビートのリズムパターンへと発展させていきます。指導の際に使うこれらの音(おん:カタカナやb,t,p等のアルファベットや漢字)の違いには、それぞれ理由があります。動画の中では触れていませんが、これまでの私の研究の中で、使用する(音)の違いには出そうとしている音(おと)の違いが関係していることがわかっています。例えば、この音(おん)を発すると、スネアドラムのような音が出やすい等の理由です。また、ドラムセットにある特定の楽器を意識せず、ビートを刻むことだけに特化した音(おん)というのも存在することがわかってきており、現在、その関係性については研究を継続中です。これが私が科研費で取り組んでいる、『学校教育におけるヒューマンビートボックスの指導でのオノマトペの活用法の研究』です。

 ヴォイパやヒューマンビートボックスの初心者向けに使用する音(おん)を、今ここでは仮に「指導用オノマトペ」と表記しておきます。KAZZさんはこのような「指導用オノマトペ」を口ずさみながら、に身体の動きを付けていきます。(国の緊急事態宣言前にギリギリ撮影することができました) また、AFRAさんも同様に身体の動きとのリンクに配慮しているそうです。ここまでの話を聞くと、ヴォイパもヒューマンビートボックスも初心者の入口部分の習得技術はほとんど違いが見られないように見えませんか。ただ、ある程度リズムを習得したあとに違いが出てくるのです。さて、その違いとは・・・・(続きは動画で)

 

国家試験で取得した保育士資格で子どもとヴォイパを楽しむ

 

 「保育現場にピアノは要らない!」

  

 ちょちょっと待って奥村さん!それは爆弾発言では・・・。「武道館のコンサートよりも緊張した!ピアノはピアノができる芸人さんに聞いてもらった」と冗談交じりにお話される奥村さんですが、実は、奥村さんはピアノなんか必要ないと言っているのではなく、ピアノを弾くことに気を取られすぎて子どもとしっかり向き合えていないということを懸念されているのです。私も保育者を養成する短期大学で勤務していますが、ピアノの必要性は認めつつも、ピアノはあくまでも幼児教育・保育をするための道具に過ぎず、表現活動の本来の目的を見失ってはならないと考えています。得意不得意は誰にでもあることです。CDのスイッチポンで歌の伴奏ができる時代です。そういった時代の中で、逆にヴォイパやヒューマンビートボックスは身体から発せられる音・音楽なのでごまかしがききません。だからこそ、現代社会にマッチした表現活動の在り方を考える上で、奥村さんの発言は示唆に富んでいるといえるでしょう。(ただ、動画では一部に音声処理を施しています。そこだけを切り取られてしまうと、ちょっと誤解を受けそうなので・・・)

 

YouTubeの功罪

 YouTubeなどのインターネット上のSNSが、ヴォイパやヒューマンビートボックスに与えた影響は計り知れないものがあります。前回の奥村さんが出演された回でも、慶應義塾大学アカペラシンガーズK.O.E.の創立25周年記念ソングは、コロナ禍の中でインターネットという環境があったからこそできたのではないかと奥村さんは述べていました。その後、K.O.E.の広報担当のMさんからも、「奥村さんもおっしゃっていますが、まさにコロナ禍で生まれた企画でした。オンラインだからできない、ではなく、オンラインだからこそ何ができるのかを教えてくれた大切な作品です。このような状況下でも卒業生含めたK.O.E.メンバーと繋がりながら作り上げたことで、テーマとしていた「ここで歌える幸せ」が作品に現れていれば幸いです。」というコメントをいただきました。

 奥村さんは、再生回数の表示がなかったら人の目をもっと気にせずに表現活動ができるのではないか、と指摘します。つまり、YouTubeは「功」の部分も大きいけれど、数字のみで評価されかねないという「罪」の部分もあるという意味です。この点については、すらぷるためさんが詳しく述べられているので、第4回をご覧ください。

 

(後編終了)

 

1st Seasonはこの回で終了です

 

☆引き続き、3/20(土)より2nd Seasonをお届けします! お楽しみに〜!